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大妻コタカが目指したもの

大妻コタカが目指したもの

大妻コタカ(大正5年)
大妻コタカ(大正5年)

校訓になっている「恥を知れ」という言葉は、四国土佐の郷士であった大妻家の家訓でした。大正5年、コタカの私塾に学ぶ人々が三越主催の展覧会に出品し、その出来映えが関係者に認められて、私塾は各種学校となりました。翌年、校名を「大妻技芸学校」と改めたときに、教職員や生徒たちと話し合って、この校訓が定められました。

コタカは大正14年の卒業式で、社会へ送り出す教え子たちに、社会に貢献する人になること、そのためにますます修養に努め、最も強い信念に生きよ、と励ましました。この信念の総合が、校訓「恥を知れ」の戒めであり、これから社会に出て行う行為は、みなこの校訓を根幹として、そこから生じる枝葉である、と説きました。

「恥を知れ」という言葉は、自分自身に向かって言うことであり、自分の人格を高めていく努力を怠ってはならないという意味が込められています。多くの体験を通した厳しい内面的反省によって自分を高めることができるというこの教えは「人間らしくあれ」「人間の人間性を実現せよ」というメッセージでもあります。そして、人間らしい生き方とは、他者や社会から受けた恩義に感謝し、これに報いることではないでしょうか。コタカは「人間らしい人間、女性らしい女性、そしてあくまでも自分らしい個性を持った自分を養い育てていきたいものです」(昭和34年)と述べています。そのためには、人格的にも知性の面でも、鍛えられ磨かれる必要があります。

コタカは学びのあり方について、「いつの世にも、いかなる世界にも一定不変のものは、人格と実力であると申されましょう。・・・・・・私共の処世に必要であるその教養は、また社会で求めているところのものでございますれば、学問に向かっては、ただ一点の高下を闘う点取り虫式の勉強を排し、真当に学校に学んだ人として、人格的にもっと磨かれ、学校で学び得た知識がすべての生活に真当に活用し得る人となっていただきたいと思っております」(昭和3年)と述べています。大妻の学校生活のすべてが、社会に貢献できる人間になるための道筋なのです。

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